松前武家屋敷と藩主墓所

松前は桜が美しいところのようです
北の武家屋敷から南の松前城にかけての緩やかな下り斜面には数々の社寺が点在し、その空間には桜があります
春5月の初めには桜花で埋め尽くされるのでしょう
武家屋敷といっても町家が多く、しかも街に点在していたものを集めた、いわゆる博物館の様です
萩や佐倉のようなものを想像していたので、残念です
松前家の墓所は、福山城(松前城)の北の寺町の一角にある法憧寺境内の北東隅にあります
福山城が築城された後、ここに藩主とその室や直子等の墓を集めたものの様です

武家屋敷1

武家屋敷2

武家屋敷3

武家屋敷4

武家屋敷5

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渡島大島、渡島小島

松前の海岸は、奇岩が並ぶ風景が美しいところです
海の向こうには、三角形の渡島大島と台形の渡島小島が見えます

渡島大島は松前から西方沖50Kmにある無人島です
渡島大島の面積は約9.73km² 、高さ737mの火山で、日本で最大の無人島です
海中火山が噴火してできた島で、1741年(寛保元年)8月27日に大噴火の記録があります
噴火の翌日に、島の一部が2000mといわれる海底まで大崩落して、津波が発生下といわれています
津波の原因は今だ議論されているようです
北は熊石(現在八雲町)から松前にかけて1,467人の死者を出しました
この島は、オオミズナギドリの北限の繁殖地として知られています
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松前町の沖約23kmに渡島小島はあります
ウミガラスやウミウ、ウミネコ等の海鳥の繁殖地です
無人島のため島へのアクセス手段はないが、近海で操業する漁船の避難所・休憩所としての小島漁港があるそうです
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ニシン番屋の原型、旧笹浪家住宅

享保年間(1716~1735)に能登国笹波村から渡たり、上ノ国に移り住んだ笹浪家は、鰊漁などを営んできた旧家です
この住宅は19世紀の前期に五代目久右衛門が建てたといわれるものです
家屋の部材の大部分にはこの地方のヒバが使用され、屋根はヒバの割柾葺(わりまさぶき)で、冬の強風に飛ばされないようにヒバ葺き屋根には、石が置かれている
柾葺きの屋根の下は居室になっていて、天井がない
家の中にいても、冬の寒さは厳しいものだと思った
築後約150年に笹浪家から町に寄贈され、平成4年1月21日に国の重要文化財に指定されている
北海道の現存民家では最古で、ニシン番屋の原型とも言われている
別棟でたてられている蔵は、ヒバでおおわれている
この地方が風雪から土蔵を守るため、このような姿だ

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7380Kmの夏休み

7月5日から2か月に及ぶ、夏休みが終わりました
北海道江差町で居住した2か月は、今までにない北海道の海を楽しみました
エンディングは9月3日の夜から
江差最後の食事は、津花館での夕食です
レストランの窓の外は鴎島の全容が見え、夕日が沈んだ後の景色を楽しみながらの食事でした
私は江差名物のニシンの親子丼の定食、当然ニシンと数の子です
蕎麦は江差産、松前漬けもついていました
魔女は大きなクルマエビのフライ
ビールで乾杯した江差最後の食事でした
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翌朝町役場にお礼の挨拶をして、12時のフェリーで青森へ向かいました
函館港は、様々な船が停泊しています
江差追分会館であったイギリスの南の海岸の街から来たという団体が乗っていただろうと思える、大きな客船もいました
函館山、五稜郭タワーなど思い出たくさんの町が一望でした
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青森からは十和田湖のレークサイド山の家まで行って一泊でした
青森からの道すがら岩木山は雲の中、今にも嵐が来そうでしたが、十和田湖へ着くと夕焼けがきれいでした
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土砂降りが終わった今朝は青空
湖畔の緑がとてもきれいな十和田湖です
快適なドライブで自宅まで無事たどり着き、全行程7380Kmを走った北海道の夏休みが終わりました
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さよなら江差 ありがとう江差 2/2

(思い出の写真2/2)
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さよなら江差 ありがとう江差 1/2

いよいよ江差から帰る日
2か月の間、熱い人情、歴史とたんたんと繋がれた文化、新鮮な魚介類に浸りました
今までにない経験です
ありがとう、そしてさようなら
(思い出の写真1/2)
江差良いとこ1
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江差フットパス  江差いにしえ街道

江差のフットパスを歩いた
最長は6Km、町の北のはずれまで行く
海岸に近い通りは、西風を避けるための木の塀が並ぶ
冬の厳しさがわかる
いにしえ街道は、案内がいたるところにあるので、とても歩きやすく目的にすぐたどり着ける
それ以外のフットパスは、地図片手に歩く
ところどころに小学生手作りの案内がある
これがとても楽しい
おかげで2か月の滞在中に何度も街歩きを楽しんだ
たくさんの思い出が残った

江差フットパス1

江差フットパス2

江差フットパス3

江差フットパス4

江差フットパス5

江差フットパス7

江差フットパス6

旧関川家別荘  江差いにしえ街道

江戸時代から明治にかけて、江差No1の豪商、関川家の残した別荘が現存します
別荘には蔵があり、調度品などが残されています
また、客人をもてなすのに使われたようです
蝦夷最大の商業都市だった江差には、とんでもないくらい大きな商家があったようです
函館の街を築くのに大きな貢献をし、国後択捉などを拠点に海産物を扱った高田屋嘉兵衛は、すでに江差には豪商がひしめいていたので、拠点を寒村の函館にしたほどです

以下の説明のように、江差町のホームページでは、関川家について詳しく書いてあります
「関川家は江差随一と歌われた豪商でした。初代関川与左衛門が1600年代のおわりに越後(新潟県)から松前福山城下に移り、間もなく江差の姥神町に定住しました。二代目になって家業の酒屋から事業を拡張し、沖の口業務に加えて、回船業や米穀問屋、金融業、醸造業などを経営し繁栄の基礎を築きました。
関川家では最盛期3隻の北前船をもっており、その他にも10隻を買い入れて、本州各地との交易で事業を拡大してきました。在郷商人の第一人者として、また、松前藩の御用商人として代々名字帯刀を許され、松前藩第一の豪商の名をほしいままにしてきました。
明治30年代、関川家は9代目の代になって江差を離れるまでの200有余年、江差の町づくりに数々の貢献をしてきました。古くは安政5年(1858年)、弁天島(鴎島)の灯台設置。明治になると小学校や公立病院の建築などに私財を寄付。さらには道議会開設の提言者として、自治制度施行に大きな功績がありました。
現在、残されている建物は関川家の別荘で、庭は樹齢200年といわれる古い木がそびえる1万1千平メートルの広大な自然庭園となっています。「えぞだて公園」も元はこの別荘の庭園でした。母屋の縁側からこの庭園の池も見渡すことができ、関川家代々の主人たちが文化人たちと俳句などを楽しんだそうです。」

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旧檜山爾志郡役所 江差いにしえ街道

江差いにしえ街道を見下ろす位置に、旧檜山爾志郡役所(北海道指定有形民族文化財)があります
現在は郷土資料館として使われています
ここで目を引いたことは、明治時代に設置された北海道の郡役所としては、唯一現存していることです
当初の状態に復元された江差の象徴的な建物です
壁布のすべてが復元されたようです
陳列されていた五勝手鹿子舞の装束は独特で、江戸時代にヒバ(ヒノキアスナロ)を伐採した樵が暮らす五勝手村(江差町に地名が残っている)で行われたものです
私が子供のころに遊んでかるた(百人一首)がありました
取り札が木(朴ノ木)でできています(懐かしいなぁ~)

以下は江差町のHPを引用した旧檜山爾志郡役所の説明です
「旧檜山爾志郡役所」は、北海道庁の出先機関である郡役所と警察署の業務を執り行なう建物として、明治20年(1887)に建てられました。
その後、檜山支庁と江差警察署の合同庁舎、江差警察署の単独庁舎、江差町役場の分庁舎などに使用され、明治・大正・昭和・平成の江差を見続けてきました。またその間には、建物にさまざまな手が加えられてきました。
1992年(平成4年)には、道内でただひとつ現存する郡役所として、道指定有形文化財の指定を受け、江差町では、1996年(平成8年)から1997年(平成9年)にかけて、創建当時の姿に復すべく保存修理を行いました。
現在は、明治時代の貴重な建物をご覧いただくとともに、江差町郷土資料館としても活用をしています。
主屋2階建1棟、附属平屋1棟
木造寄棟、桟瓦葺  
1階327.21㎡/2階231.36㎡

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江差で一番、それは鴎島

鴎島は2か月の江差滞在中に一番多く足を運んだところです
3日に1度は鴎島に行きました
行くたびに新しい発見があり、美しい風景を見せてくれます
エゾカワラナデシコは岩にへばりつくように可憐な花をつけています
ハマナスは真っ赤に熟したおいしそうな実がきれいです
浅瀬の岩場にはウニ、ウミウシ、ヒトデが見えます
浜辺にはカモメ、千畳敷の芝生や岸壁では、いつもセキレイが遊びイソヒヨドリが陣取っています
灯台の見える風景は、どこから見ても安らぎを感じます
海は広大な日本海
漁から帰る小舟が近きを通ります
奥尻島から帰ってきたフェリーはいつの間にか大きくなって港に入ります
島から見える江差東別院の大屋根や、旧郡役所は江差のいにしえ街道の上に見えます
島を見るとその前に陣取っているのは、復元された開王丸
天気がよいと必ず足が向く鴎島です
9月になると鴎島に秋風が吹き始めました

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大沼公園から帰ると江差は大きな夕日

野鳥の撮影を目的に、大沼公園へ行ってきました
野鳥のいるポイントがわからず、やみくもに今まで行ったことのないところに出掛けたのです
しかし、そう甘くはありません
水鳥は、昼寝するカルカモ、蓴菜沼は遊歩道が危なげな木道で見晴らしが悪く、大沼森林公園では鳥のさえずりが少なくて、野鳥探しは不発でした
大沼の北端で一人ぽつんと椅子に腰かけて三脚にカメラを付けた重装備の人影があり、「何を狙ってますか?」と訪ねると、そのご夫人は「カワセミなどが来ないかと思って・・・」と答えました
仕方なく、まだ咲いてる蓮花や、トンボやキャンプ場のボート、頭の雲を払った駒ヶ岳などを写しました

ランチは湖畔近くのお店に飛び入り、パスタを食べたのですが、これはとてもおいしくて今日の救いでした

江差町に戻ると西の空が雲一つありません
早めの夕食を済ませて出かけると、大きな夕日が沈みかけているところです
帰ってきた奥尻航路のへりーボートとコラボレーションした夕日がきれいでした

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トラピスト修道院

トラピスト修道院へ来たのは二度目
最初は中学の修学旅行でした
青函連絡船に乗って十和田湖に行く途中、湯の川温泉に泊まりトラピスト修道院に来たのです
その時、トラピスチヌ修道院も見学した記憶があります
ポプラ並木は見覚えのあるもの、バター飴を土産に買ったものでした
院内には牛がいて、周りは牧草地
広大な敷地の中の静かな修道院でした

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鴎島のカモメ

江差の鴎島は夕日の名所ですが、夕日だけが売りではありません
折居伝説、北前船の係留史跡、海水浴などなど見どころ遊び所がたくさんあります
すでに夕日と咲き誇る花々の紹介をしました
島の西側は平らな岩盤が後代に広がり、その先は遥か日本海を見渡します
この岩盤の海岸には海鳥が多くいます
数種類のカモメやウミネコ、ウミウが主です
岩盤の一部が低くなり、満潮時にはプールのようになるところがあります
ここは鳥たちのたまり場
小魚を捕まえたり、水浴びしたり、仲間と語らうかのようにしています
種類が違っても仲良しなのです
鴎島はカモメなど海鳥の楽園でした

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高田屋嘉兵衛 ・・菜の花の沖・・

函館に来て見たかったものの一つが、高田屋嘉兵衛
とりあえず通称高田屋通りにある銅像を見た
函館山を背景に、港を見下ろす場所に銅像があった
高田屋嘉兵衛関連資料を展示する「北方歴史資料館」は2013年に閉館
箱館高田屋嘉兵衛資料館は、健在だった

嘉兵衛は淡路で生まれ、極貧の中から這い上がり回槽業を営んだ
1796年に蝦夷で営業するに至るが、その当時は松前藩の息のかかった近江商人が松前や江差で商っていた
まだ、開発が進んでいなかった函館に拠点を構え、兵庫から酒、塩、木綿を酒田に運び、酒田からコメを函館に運んだ
函館からは魚、コンブ、魚肥を上方へ運んで商った
幕臣近藤重蔵に依頼されて、国後、択捉と蝦夷の航路を開発して、国後択捉に17か所の漁場を開きアイヌに涼を教えて北方領土の海産物を取り扱った
また、函館の基礎を作り発展させた最大の功労者で、当時を代表する豪商になった
幕府が直轄とした蝦夷にロシアが開港・通商を求めてやってきた際に、択捉の南部を襲撃・略奪したロシア兵をとらえたゴローイン事件があった
嘉兵衛はロシアの地へ入り、半ば幽閉されて問題解決をした功績も有名な話だ
数々の功績があった高田屋嘉兵衛の姿は、司馬遼太郎の「菜の花の沖」に生き生きとしてえがかれている


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高田屋嘉兵衛

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高田屋嘉兵衛資料館


江差町民の森

先日のことでした、江差町民の森に行こうとして道を間違えてしまいました
道を確認して再挑戦
自転車をころがしていったのですが、途中から砂利道の登り坂
車輪をとられて運転不能なため、自転車を押しながら2Km山道を登りました
道祖神が迎えてくれたその先には、町民などの植樹をしたヒノキアスナロ(ヒバ)の森が見えました
就任当時29歳という日本で一番若い町長主催のツアー記念植樹などされ、苗木が育てられていた
森の奥は様々な形態の広場や森があって、楽しい
湿原には蛍が住み、運動広場は広大な芝生、秋の園では黄色い草花が一面に咲いていた
トンボと蝶が足元を舞って、カメラを思わず向けてみたくなる
森の片隅に陣取っていたのは、トビ
獲物を狙って周りを見渡していた

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神仙沼湿原

標高765mにある、ニセコの神仙沼湿原を歩きました
神仙沼湿原は4.18haあり、ニセコ山系の沼の中で最も美しい沼と称される神仙沼付近を歩いたのです
神仙沼湿原には池塘が点在しており、初夏はエゾカンゾウやワタスゲが咲く、ニセコのお花畑です
総延長1388mの木道はとても歩きやすく、だれでもトレッキングを楽しむことができます
地元共和町の幼稚園児が、湿原散歩にやってきてました
湿原の周囲にはダケカンバ、トドマツの巨木が森を作り、その樹間にハイマツが茂っていました
花の季節は過ぎていましたが、静かで美しい湿原と沼でした
トンボや蝶などの昆虫、野鳥の声がとても多く、自然の宝庫だというのがよくわかります

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もう一度 ニセコCowParade

前回のニセコ(8月21日)は、あいにくの曇り空
山がよく見えませんでした
比羅夫と羊蹄山どちらも霧のベールの中、シルエットだけでした
そして、まだ見ていないCow達が呼んでいるような気がして、出かけました
今日は全道何処も晴れの予報、前回外れた予報だけれど今日は大丈夫そうだった
見残したヒラフの一部と、東山のヒルトンニセコビレッジとミルク工場に行きました
羊蹄山山頂の一部に雲がかかっていたのですが、晴天の一日でした
12匹の牛と、前回同様アメリカンなランチ、ミルクのおいしいアイスクリームを青空の下で楽しみました
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絶景360度のパノラマきじひき高原

北斗市のきじひき高原からの眺めは最高
南には、北海道新幹線の湾曲した線路や駅舎、函館の街や函館山の向こうにうっすらと下北半島が見える
北を見ると、大沼小沼と駒ヶ岳の全貌が見える
眺望のきく好天の日は、きじひき高原の展望が楽しい

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ゴジュウカラとアカゲラ

江差をくまなく歩いたつもりだけれど、まだ行っていなかったところがある
それは松ノ岱公園だ
公園はすぐ見つかった
小さな池があるからだろうか、トンボが多い
それもオニヤンマが羽音をたてて飛んでいた
自転車を置いて公園の奥の坂を上る
かろうじてわかるルートを行くと、見覚えのあるところに出た
護国神社の横の緑ヶ丘の広場だ
広場に出る途中の林に、鳴くアカゲラを発見、続いてゴジュウカラが木を啄んでいた
カメラを構えるや否や、耳元に聞き覚えのある音が聞こえる
それもかなりの数だ
蚊の大群が襲ってきた
シャッターを何度か押して退散した
蚊取り線香、虫よけスプレーなど対策してリベンジだ

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ニセコ Cow Parade

ニセコにCow Paradeがやってきた
47頭の牛のアートが、比羅夫や近くの地域に点在します
その牛たちに出会うと、なぜか幸せな気分になります
比羅夫のゴンドラに乗ってみたものの、曇り空で羊蹄山がよく見えませんでした
でも、比羅夫の山は秋の草花がいっぱい
街角のCafeでのランチがおいしく、振り返ってみた羊蹄山を背景にした景色や牛たちが楽しい時間をくれました
10月までパレードは続くので、47頭の牛たちを探してみませんか?

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CowParade 2

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江差東別院からの眺望 江差いにしえ街道

毎日曇り・雨の天気予報が続いて、どこかへ出かけるのに気おくれしてしまう
今日は雨模様だった予報のため、休養日にした
しかし予報に反して、薄曇りで時々青空と陽ざしが注いだ
午後おそくになって自転車で江差の街を一回り
緑ヶ丘温泉とその奥の町民の森を見に行ったところ、町民の森への道は閉鎖されていた
起伏の激しい江差の街をくまなく自転車で行くのは、とても大変
それでも見晴らしの良い場所へ出ると、癒されるのだ
私は江差いにしえ街道の北端、江差東別院から見る海が好きだ
南は鴎島、港の姿、西の遠くに奥尻島が見えて、北は乙部の海岸線が見える

鴎島の夕景
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港と遠くの奥尻島
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江差北部と乙部方面の海岸線
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函館山からの眺望

昨日は函館山ライブカメラの配信で、眺望を確認して午前中に登りました
4度目の挑戦で初めてはじめてよい天気に恵まれたのです
頂上駐車場から展望台に向かうと、もうそれは360度のパノラマの風景です
海上の実通りはよくなかったので、下北半島は見えませんでしたが、函館の街や遠く駒ヶ岳を望むことができました
五稜郭公園、函館駅屋朝市会場や摩周丸などの港の風景、函館ドック、立待岬に谷地頭、ハリスト正教会、聖ヨハネ教会・・・が一望でした
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オオウバユリの花

8月の北海道の野原を歩いて目につくものは、大きな草と実
1メートルを越えそうな背丈に、大きな実がいくつもついている
オオウバユリの実だ
これまでの数年間、花の時期がわからず実だけを見ていた
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D70_8717オオウバユリ

7月中旬、大沼湖畔の日暮山に登った
その登り口に見慣れない大きな花を見つけた
これこそ、オオウバユリの花だった
日暮山の付近には、オオウバユリが群生していた
ユリ根として食べられるというオオウバユリの花は、淡い黄緑色をした不思議な花だった
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D70_2073ウバユリ

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嵐のあと

深夜から明け方にかけて、強風と豪雨
最近にない激しさでした
6時50分頃に陽が差し込んで明るくなると、海の上に虹が出ました
ほんの15分ほどの出来事でした
D70_9476 の 虹

D70_9482 虹

D70_9476 虹

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旧尾張藩士開拓の地 八雲

昨日八雲町の小林牧場を訪ねた
majyoの知人のふるさとを訪ねさせてもらったのです
牛を放牧している牧場で、少々こだわりの牛乳を生産していました
ごちそうになった牛乳やヨーグルトは、一味違うものでこの上なくおいしいものでした
また、チーズやヨーグルトなどの加工などを、グループで行っています
牧場では、今年生まれた子牛が歓迎してくれました
近づくと興味津々、大きな目できょろきょろ見ます
手を出すと、ぺろぺろとなめまわします
小林牧場は、北海道のキャンペーンポスターの被写体になったところでした
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小林牧場八雲


小林牧場に行く前に、ハーベスタ―八雲、噴火湾パノラマパーク、八雲歴史民俗資料館によりました
ハーベスタ―八雲ではピザにチキン、パスタを噴火湾を眺めながら食べたのですが、風がさわやかで心地よいランチでした
もちろんミキも一緒です
隣の噴火湾パノラマパークは、家族連れが遊んで楽しそう
八雲歴史民俗資料館では、八雲の遊楽部に尾張藩士が入植した尾張徳川のゆかりの地であること、木彫りの熊の発祥地であることなど知ることができました
帰り路で、駒ヶ岳を噴火湾から望むことができました
大沼から見るのとは違って、雄大なものでした

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八雲

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旧中村家(重要文化財) 江差いにしえ街道

江差のニシン漁はアイヌの伝説が起源ともいわれる、折居様(1216年、姥神大神宮)の話から始まるので、とても古い話です
当時大量に押し寄せたニシンを得ることで、人々はうえから免れたといいます
江戸初期徳川家綱のころ、刺し網漁によるニシン漁で多量のニシンが獲られ、北前船で金肥として関西に送られました
藍や綿の栽培の肥料として使われたといいます
江戸末期、関西や北陸の北前船経営者に対して江差商人が北前船経営に乗りだし、その数30数軒、船数も100艘を越えたといいます

幕末から明治初期に、近江の商人大橋宇兵衛がたてた町屋造りの建物が、いにしえ街道にある旧中村家です
大正時代に豪商中村米吉が所有、江差町へ譲渡するまで中村家の家屋であったため「旧中村家住宅」と呼ばれています。
大橋宇兵衛は北前船を持ち海産問屋で回船業も兼ねていたので、ニシンをはじめとする海産物を西へ送り、薬や衣類、タバコの日用品や漁網などを西から運んで商ったようです
建物の土台は越前の笏谷石を積み上げ、総檜の切妻造りです
通りに面した入口から入ると帳場で手代3人と、奥には番頭が座る帳場があります
2階は紫檀、黒檀がたくさん組み込まれた床の間、壁は砂鉄やアワビの貝殻をまぶしたものです
帳場から奥は、茶の間、仏間と続き、蔵があります
蔵の扉は4重になっていて、30センチほどの厚い扉があります
間口よりも奥行きが長い典型的な町屋スタイルで、高低差が5m以上ある後部は海面近くに面している独特な構造をしています
現在国道の部分が海岸で、近くの鴎島に着いた北前船との間で荷物を移動させるために、このような形になったようです

明治時代の江差
明治初期の江差

現在の江差 旧中村家
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乙部町の海岸地層と絶景

乙部の海岸で見られる縞模様の岸壁は、140~500万年前に海底に堆積した砂岩、珪藻質シルト岩、礫岩が、隆起して地表に現れたものだそうです
白亜の露頭と呼ばれる館の岬は地層の縞模様が美しい
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滝瀬海岸には、シラフラと呼ばれる白い断崖が続いています
シラフラとはアイヌ語で白い傾斜地の意味です
垂直に切り立った白亜の断崖は、不思議な風景を作っています
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くぐり岩は、江戸時代には陸だったところが、ニシン漁のために村とつなぐ通路として掘られたトンネルです
独特の地層で、海に突き出るようにぽっかりと空いた穴の向こうには、白亜の露頭(舘の岬)が見えます
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山車の帰還 江差いにしえ街道

姥神大神宮渡御祭のすべてが終わったのは、8月11日23時でした
一日中引き回して、江差町内を巡った山車は、午前1時になって家の前を通り過ぎました
遠くからかすかに太鼓と笛の音が聞こえ、ゆっくりと大きくなって、目の前に姿を見せたのは名残を惜しむかのような姿でした
足取りはゆっくり、三日間の余韻を楽しむかのような山車を引く姿でした

たくさんの興奮と楽しみをくれました
お疲れ様でした

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姥神大神宮渡御祭宿入れ 江差いにしえ街道

8月11日の夜半に姥神大神宮渡御祭は終わる
しかし、姥神大神宮前に集まった13台の山車は、昼過ぎに上町巡行に出掛けたまま、まだ戻らない
神社では、3基の神輿の宿入れが行われます
それは他に類を見ないものです
七、五、三の縁起の良い数字に合わせて、神輿が宿入りする
最初の1基は、社殿に入るまで七度往復してから入る
次は五度、三度
松明の火で清める若者、神輿を担ぐ若者は、全速力で参道を社殿まで往復するのだから、当然周りから応援の掛け声や拍手がわきます

江差町のホームページに祭りの詳細が書かれていますので、末尾に引用します
歓喜の中で終わろうとしている姥神大神宮渡御祭は,見た人すべてに深い感動を与えます
地域の老若男女が一体となって累々と築いたものは、日本人が失いつつある懐かしい何かが存在することに気づかされます
日本中の人がこの祭りを見てほしいものです

江差町HPから
「姥神大神宮の渡御祭は、神輿の渡御に山車(やま)が供奉する形式です。神輿は4基で、その中で最も古い神輿は元禄7年(1694年)に大阪で制作されている。
渡御祭の神輿行列で、2日目、3日目の巡行を終え大神宮に戻った際、神輿を一基づつ順次拝殿に納める「宿(しゅく)入れ」は圧巻です。
下町の巡行を終えた3基の神輿の『神輿の宿(しゅく)入れ』が始まる。
まず篠竹を束ねた長いほうき状のタイマツに火を付けた8人が4人づつ向かい合わせに並び、鳥居から拝殿まで敷石の参道を火で掃き浄めるようになぞりながら駆け登る。
三基の神輿は一基づつ順次拝殿に納まるが、まるでそれを導く様である。神輿は白衣の若者に担がれて、一気に参道を駆け、揺すり上げながら拝殿前の石段を駆け登るが、一度では神意の嘉納するところとならず、一基目の神輿は七度目に見事に宿入れし拝殿内で喜びに湧く神輿を揉み上げる。
二基目は五度目、三基目は三度目で納まる。飛び散る火の粉と担ぎ手が飛ばす汗。この間、見物人は息を詰めて見守る。三基目の神輿が拝殿に入ると周囲から、どっと拍手が沸き拝殿内では歓喜の揉み上げが続く。」

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姥神大神宮渡御祭下町巡行 江差いにしえ街道

祭りの朝が明けると、予報が外れて時折陽がさす薄曇り
絶好の祭りの日となりました
11時から各町の山車が姥神大神宮の前に向かいます
12時過ぎに勢ぞろいして圧巻の風景です
それにもまして、祭囃子が鳴り響き非日常の大音響が鳴り響きます
天狗が先導して神社の神輿が操出し、巫女や神官が続きます(猿田彦行列と神輿行列)
いよいよ山車の行列が出発です
いにしえ街道、豊川町など下町(古い町)を巡ります
我が仮寓はその行列を窓から見ることができ、一日祭囃子の中にいました
今も囃子の音が近くで聞こえ、22時まで続くのだから、ものすごいエネルギーを消費します
山車は13台、各町内にあります
多くは大きな人形飾りですが、松寶丸は珍しい船型の山車です
【松寶丸(まつほうまる)】 陣屋町、海岸町
【新栄山(しんえいざん)】(人形:武田信玄)新栄町
【神功山(じんぐうやま)】(人形:神功皇后)愛宕町
【豊栄山(ほうえいざん)】(人形:瓊瓊杵尊)豊川町
【蛭子山(えびすやま)】(人形:蛭 子 様)中歌町
【豊年山(ほうねんやま)】(人形:神武天皇)姥神町
【楠公山(なんこうやま)】(人形:楠木正成)津花町
【義公山(ぎこうざん )】(人形:水戸黄門)南浜町・柏町
【誉山(ほまれやま )】(人形:大石内蔵助)茂尻町
【聖武山(しょうむざん)】(人形:日本武尊)橋本町
【源氏山(げんじやま )】(人形:武蔵坊弁慶)上野町
【清正山(せいしょうざん)】(人形:加藤清正)本町
【政宗山(まさむねやま)】(人形:伊達政宗)新地・緑丘・円山
各山車は、すべての家を回ってご祝儀を受け取ります
地元の方に教わってご祝儀を用意したのですが、二つ余ってしまいました

かつて暮らした知多半島の武豊二も山車が練り歩く祭りでしたが、長時間囃したてるのは、初めてです
夜が更けるにつれ、笛太鼓掛け声が響きます

北海道で一番古いお祭りは、明日の上町巡行のあと終わります
この時期に家族が集まって、団らんとお祭りとお盆の供養をします

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