寛保津波の被害 江差いにしえ街道

江差のいにしえ街道の南西の小高い丘に向かうと、松の岱公園の入口近くに正覚院があります
開山は今から約350年前の元禄2年(1689年)です
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正覚院には、寛保津波の慰霊碑があります
この碑は、寛保元年(1741年)7月16日に大津波による被害があり、それを慰霊するために、同年に江差の僧侶たちが建てたものです
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この大津波は松前の沖合60Kmほどにある大島(火山)に起因するものでした
津波
大勢の命を襲った大津波は、松前町から上ノ国町、江差町、厚沢部、乙部の海岸に被害を及ぼしたといわれます
地元によると、
「1741年、江戸時代の寛保元年、渡島大島は大噴火を起こしました
それに伴い大津波が発生し、松前から、檜山の各地を襲いました。津波の高さは、松前市街地で40メートル。松前城のある高台の上まで達したといいます
死者は、松前藩の公式記録では1467人とされていますが、これだけの大津波ですから、集落ごと全滅したところもたくさんあったようで、実際には3000人を超えただろうと推定されています
1993-99年にかけての「しんかい2000」による海底探査では、島の北東斜面に崩落した痕跡がありました
その崩落は、山頂から16キロメートル先の水深2000メートルまで続いていたのです
崩壊量は、札幌ドーム1900杯分、1980年に巨大噴火したアメリカのセントヘレンズ山に匹敵する3立方キロメートルとされています」
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