旧中村家(重要文化財) 江差いにしえ街道

江差のニシン漁はアイヌの伝説が起源ともいわれる、折居様(1216年、姥神大神宮)の話から始まるので、とても古い話です
当時大量に押し寄せたニシンを得ることで、人々はうえから免れたといいます
江戸初期徳川家綱のころ、刺し網漁によるニシン漁で多量のニシンが獲られ、北前船で金肥として関西に送られました
藍や綿の栽培の肥料として使われたといいます
江戸末期、関西や北陸の北前船経営者に対して江差商人が北前船経営に乗りだし、その数30数軒、船数も100艘を越えたといいます

幕末から明治初期に、近江の商人大橋宇兵衛がたてた町屋造りの建物が、いにしえ街道にある旧中村家です
大正時代に豪商中村米吉が所有、江差町へ譲渡するまで中村家の家屋であったため「旧中村家住宅」と呼ばれています。
大橋宇兵衛は北前船を持ち海産問屋で回船業も兼ねていたので、ニシンをはじめとする海産物を西へ送り、薬や衣類、タバコの日用品や漁網などを西から運んで商ったようです
建物の土台は越前の笏谷石を積み上げ、総檜の切妻造りです
通りに面した入口から入ると帳場で手代3人と、奥には番頭が座る帳場があります
2階は紫檀、黒檀がたくさん組み込まれた床の間、壁は砂鉄やアワビの貝殻をまぶしたものです
帳場から奥は、茶の間、仏間と続き、蔵があります
蔵の扉は4重になっていて、30センチほどの厚い扉があります
間口よりも奥行きが長い典型的な町屋スタイルで、高低差が5m以上ある後部は海面近くに面している独特な構造をしています
現在国道の部分が海岸で、近くの鴎島に着いた北前船との間で荷物を移動させるために、このような形になったようです

明治時代の江差
明治初期の江差

現在の江差 旧中村家
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