高田屋嘉兵衛 ・・菜の花の沖・・

函館に来て見たかったものの一つが、高田屋嘉兵衛
とりあえず通称高田屋通りにある銅像を見た
函館山を背景に、港を見下ろす場所に銅像があった
高田屋嘉兵衛関連資料を展示する「北方歴史資料館」は2013年に閉館
箱館高田屋嘉兵衛資料館は、健在だった

嘉兵衛は淡路で生まれ、極貧の中から這い上がり回槽業を営んだ
1796年に蝦夷で営業するに至るが、その当時は松前藩の息のかかった近江商人が松前や江差で商っていた
まだ、開発が進んでいなかった函館に拠点を構え、兵庫から酒、塩、木綿を酒田に運び、酒田からコメを函館に運んだ
函館からは魚、コンブ、魚肥を上方へ運んで商った
幕臣近藤重蔵に依頼されて、国後、択捉と蝦夷の航路を開発して、国後択捉に17か所の漁場を開きアイヌに涼を教えて北方領土の海産物を取り扱った
また、函館の基礎を作り発展させた最大の功労者で、当時を代表する豪商になった
幕府が直轄とした蝦夷にロシアが開港・通商を求めてやってきた際に、択捉の南部を襲撃・略奪したロシア兵をとらえたゴローイン事件があった
嘉兵衛はロシアの地へ入り、半ば幽閉されて問題解決をした功績も有名な話だ
数々の功績があった高田屋嘉兵衛の姿は、司馬遼太郎の「菜の花の沖」に生き生きとしてえがかれている


D70_1454高田屋嘉兵衛

D70_1455高田屋嘉兵衛

高田屋嘉兵衛

D70_1504高田屋嘉兵衛

高田屋嘉兵衛資料館


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