旧関川家別荘  江差いにしえ街道

江戸時代から明治にかけて、江差No1の豪商、関川家の残した別荘が現存します
別荘には蔵があり、調度品などが残されています
また、客人をもてなすのに使われたようです
蝦夷最大の商業都市だった江差には、とんでもないくらい大きな商家があったようです
函館の街を築くのに大きな貢献をし、国後択捉などを拠点に海産物を扱った高田屋嘉兵衛は、すでに江差には豪商がひしめいていたので、拠点を寒村の函館にしたほどです

以下の説明のように、江差町のホームページでは、関川家について詳しく書いてあります
「関川家は江差随一と歌われた豪商でした。初代関川与左衛門が1600年代のおわりに越後(新潟県)から松前福山城下に移り、間もなく江差の姥神町に定住しました。二代目になって家業の酒屋から事業を拡張し、沖の口業務に加えて、回船業や米穀問屋、金融業、醸造業などを経営し繁栄の基礎を築きました。
関川家では最盛期3隻の北前船をもっており、その他にも10隻を買い入れて、本州各地との交易で事業を拡大してきました。在郷商人の第一人者として、また、松前藩の御用商人として代々名字帯刀を許され、松前藩第一の豪商の名をほしいままにしてきました。
明治30年代、関川家は9代目の代になって江差を離れるまでの200有余年、江差の町づくりに数々の貢献をしてきました。古くは安政5年(1858年)、弁天島(鴎島)の灯台設置。明治になると小学校や公立病院の建築などに私財を寄付。さらには道議会開設の提言者として、自治制度施行に大きな功績がありました。
現在、残されている建物は関川家の別荘で、庭は樹齢200年といわれる古い木がそびえる1万1千平メートルの広大な自然庭園となっています。「えぞだて公園」も元はこの別荘の庭園でした。母屋の縁側からこの庭園の池も見渡すことができ、関川家代々の主人たちが文化人たちと俳句などを楽しんだそうです。」

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