志賀直哉邸跡(我孫子の歴史散歩)

DSC_2558我孫子の史跡1

旧村川別荘からハケの道を500m近く西へ向かうと、左に白樺文学館、右手に志賀直哉別邸宅跡がある。
DSC_2562我孫子の史跡1

志賀直哉邸宅跡は母屋は残ってないが当時の庭木を残し、移築された茶室風書斎が残っている。
「白樺」同人の柳宗悦から我孫子の売り家を勧められ、大正4(1915)年に25.6坪の茅葺の家に3部屋増築し、生涯はじめて志賀直哉が自家を持った。
志賀直哉の住まいは、現在残る書斎とともに緑雁明緑地にあった。
DSC_2561我孫子の史跡1

DSC_2560我孫子の史跡1

緑雁明緑地上から見た書斎の建物。
緑雁明緑地の大部分は、現在住宅地になっている。
DSC_2559我孫子の史跡1

ここで二男三女をもうけ、長年不和であった父親との和解を題材にした小説『和解』は、正6年にここで執筆された。
また我孫子の地で『城の崎にて』、『小僧の神様』、『暗夜行路』を次々に発表し、充実した作家生活を送った。
我孫子を題材にした小説を多く書いた。『雪の日』『流行感冒』などは、当時の我孫子の情景ばせる。
1..2Km西に離れた武者小路実篤とは、目の前の手賀沼を舟で往来していた。
大正12(1923)年、志賀は我孫子を離れ、京都に向かった。

関連記事
スポンサーサイト

COMMENT

EDIT COMMENT

非公開コメント