将門伝説の地 日秀観音、将門神社、将門の井戸

我孫子のいたるところで、将門にまつわる話が伝えられている。
通称日秀観音、慈愍山観音寺は、行基が作ったという将門の守り本尊と言われる聖観世音菩薩が安置されている。
将門は、932年にこの近くに井戸を作り観音像を祭った祠を作ったという。
今日は釈迦の誕生日。花まつりに近くの人がやってきていた。
形の良い桜の大木が境内を覆うように花開き、風に乗った花吹雪が古をもい浮かべさせる。
DSC_3163将門観音寺

DSC_3165将門日秀観音

DSC_3168将門

日秀観音の境内には、「首曲がり地蔵」がある。
将門は、藤原氏が牛耳る朝廷の搾取に関東一円で反発し、地元の人々の支持を得た。
関東を理想郷として独立させようと新皇と称した。朝廷は反乱とみなして、940年に将門を討った。
この間、成田さんは将門調伏の祈祷を行ったという。
将門を敬う日秀の人たちは、成田山には足を運ばなくなったといい、その意思を示すため地蔵が成田山の方角を向かないように曲げて作られたという。
DSC_3164将門首曲がり地蔵

日秀観音から南へ下っていくと、右に将門神社、左は将門の井戸がある。
DSC_3177将門

将門の作ったという井戸は、四角い石囲がそこにあるすり鉢状のものだ。
日秀地区のハケの道付近に、今でも残されている。
井戸のそばでは、アカタテハが舞っていた。
DSC_3157将門アカタテハ

940年に将門が戦没するとその霊は対岸手賀沼村明神下より手賀沼を騎馬にて乗り切り、湖畔の岡陵に登り朝日の昇天するを拝したという伝説があり、、村人が一宇を奉祀したのが将門神社の起こりと言われている。
日秀は将門が幼いころ過ごした土地と言い伝えられ、地元の将門ひいきはその当時からだった。
DSC_3135将門

日秀地区には相馬郡衙正倉跡が残っている。
6世紀から10世紀にかけて作られた、租税の米を貯蔵する施設だ。
将門のころ、図のような大規模のものになったという。
近くの丘陵では、山桜が色づいていた。
DSC_3132将門

DSC_3130将門


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